書簡・編

おたくもすなる日記といふものを、我もしてみむとて、するなり。

番外:2023年1月22日_CDデビュー3周年に寄せて~雑感

自力で音楽ソフト(当時はレコードかカセット)を買えなかった小学校高学年までは父のクラシック全集と母の映画音楽全集ないしはイージーリスニングを無限リピートして聴き続けていた。小学校高学年で出会ったYMO、高校生時はFMから流れてきたフュージョン*1のLPをお小遣いで購入して大事に聴き、長じてラテンジャズやアシッドジャズに嵌っていた20代後半の私は、自らの稼ぎでたまの休日にお大尽なジャケット買いしたCDを研究室や車に積み上げて音楽を満喫していた。

そんな音楽遍歴では10代でクラスが派閥に分かれる程人気だったジャニーズは眼中になく、それを突然大転回させたのは20代後半で友人に誘われたSMAPの野外ライブだった。全てのお客さんを全ての瞬間楽しませるといわんばかりのジャニーズのエンタテインメント性と、そのためのタレントの献身に心打たれた。まだ若くて喋りも歌も上手ではなかったSMAPだったが、360°隙なく”見せる自分”を把握しているかのような木村君に”感心した”*2からだった。その後2002年に嵐の一卵性5つ子のような(当時は)揃ったダンスとライブ構成、アリーナで気球飛ばしたり缶蹴り始めたりしてしまう自由さ*3に惹かれて当時は関東限定マイナーアイドルだった*4嵐ヲタになった。そして2016年、2015年紅白で"私に爪痕を残した(笑)"中島健人を観たくて観覧に行った少クラ*5SixTONESに会えたのは僥倖だった。最初に見た時はまだJr.の区別もつかないながら、シルバーのスーツで歌う「この星のHIKARI」に「2人歌える子がいるJr.グループ強い」と思った。次に見た時はソファを配して私服で「太陽のあたる場所」を歌っていてアクロバットも含めた軽やかさ、和やかさ、演出の世界観に目を奪われたし、また別の時は騎馬戦のような櫓を組んでメドレーをがなっている(Drop the beat SixTONES)姿に、明らかに他のJr.と違う何か、を作り出そうという気概を感じた。決定打は「THE D-MOTION」だった。パフォーマンスの斬新さに心奪われて何回繰返し録画を観た事だろう。

それまでの推しグループの在り方を、楽曲も演奏者も最高なのに歌が...とか、冠バラエティに忙しすぎてパフォーマンスが疎かになっているのではないか、等残念に思っていたところに、声よし歌よし、選曲よし、意表をつくパフォーマンス、尖った構成、人を食ったような発言から伺える賢さ、どんな衣装も着こなすセンスと容姿、そして各人の背負う物語性*6、全てが魅力的で、そんなSixTONESを奇跡だと思った。
2017年2月の東西SHOW合戦が初のSixTONESの現場。さる事件の翌日で、雰囲気を想像してこわごわ入った客席が全くの平静で大人なスルー体制だった事に、よいファンがついているのだと、さらに推せると確信した。そこからは完全にSixTONES一推しとなった。私にとどめを刺した「Amazing!!!!!!」観たさに足を運んだジャニーズ大運動会で、意外にも足が速かった北斗君に落とされたのが4月だった。

2018年カレンダーDATA BOOKのジェシー君の「オレはもっと何をしたらいいのだろう?」という問いに、拡大解釈かもしれなかったがこちらの胸まで痛くなるような焦燥を感じとった。努力を尽くしてなお「何をしたらいいのだろう?」とひっそりファンに問いかけてしまう彼らに対して、努力や実力だけではどうにもならないとファンでも推測できる事(=CDデビュー*7 )を願っているとは、残酷に思えてとても伝えることはできなかった。彼らがデビューできないのなら、ジャニーズのデビューという概念の方こそ形骸化していると思う一方で、既に年中現場があって忙しかったから、ただ目の前のことを一つ一つ実績として積み上げていく先にそれはある、とも思っていた。仮にCDデビューという形がなくとも、少なくともファンは彼らの価値をわかっているし「どこにいるか、より、そこでどこまでやるか」が重要なのではないかと思っていた。

当時自分の行く様々な公演で、見学に来ていたSixTONESメンバーをよく見かけていたから、先鋭にみえても彼らならジャニーズの伝統も守りつつ、それ以上の物を作り出していってくれると確信していた。当時の演出や構成が大好きだったので、それがメンバー発信ならば自信を持って欲しいし、スタッフ由来なら本当にそのスタッフさんを大事にしてついていってほしいと、そう願っていた。時を経て2023年の+act誌で、樹君が今も「彼らからお願いして」サンチェさんにライブ構成をみて頂いていると読んだのも、時代遅れなどと揶揄されることもあるジャニーズの伝統を踏襲しつつ、音楽誌に評価されるような新しい事もできていると改めて証明されているようで本当に嬉しかった*8

賛否両論あった公式Youtube開始の決定には、自分は諸手を挙げて賛成だった。SixTONESとスタッフの意思決定のセンスを信頼していたから、King &Princeデビューで広がったのか狭まったのかわからない突破口*9の可能性に、とにかく手をあげてくれた事が嬉しかったし、私自身はのんきに成功するとしか思っていなかった。そして、YouTubeの顛末といえばまさにその後の大躍進の礎になったのだった*10


2019年8月8日。ドームでデビュー発表を目の当たりにしても驚く程平静だった自分。彼らの実力なら当然だと思っていたからだし、何より「大変なのは、これからだ」と思っていたというのもある*11。むしろ嬉しかったのはソニー所属ということだった。YouTubeスタッフとの絶大な信頼関係もそうだけれど、彼らはきちんと大人の意見を容れて、その上で自分達の意志も通しているのだと思う。歴史を誇りながら新進気鋭のアーティストの発掘、SNS活用も上手なソニーの辣腕スタッフの手が加わったSixTONESが本当に楽しみでわくわくした。そしてデビュー発表からの彼らの言葉や態度がまた泣かせる程素敵だった。デビューシングルの宣伝の言が、曰く「全身全霊で最高のものを作りました。自信があります。ちょっとだけ頼らせてください」。その品のよさと筋の通った考え方に感動して、友人に語るたびに涙声寸前だった当時(笑)。地位を得ることを目標に能力を発揮する人達を否定はしないが、よいものを創り出す事に重きをおく人達であってくれた事が心底嬉しかった。もうちょっとがつがつしてくれてもよいのにと思いつつ「SixTONESというプロジェクトの構成員」を勝手に自任していた者として、その上品さを保ったまま大きくなって欲しいと願った*12
2020年1月22日、日本で初の新型コロナウイルス感染症患者が報告されてから1週間。この後数年間、未知のウイルスに全世界が蹂躙され、エンターテインメントどころか日常生活を普通に送ることすら叶わぬ世界がやってくるとまでは思わなかったあの日。渋谷等でCDショップを回って”円盤発売=デビュー”のお祭り騒ぎに参加し、Jr.時代から苦楽をともにしてきた友人達と祝杯をあげて帰宅。21日に早々に手に入れていたCDと、当日のお祭り気分に乗じて買い足した数枚を、SixTONESの円盤を並べるためにデビュー発表の遙か前から設置していた天井まであるCDラックに収めた。他グループでは初回盤しか購入しない私が珍しく複数種を何組も買ってしまったデビュー盤をうっとり1列に並べたそのCD棚は、今やSixTONESの円盤のディスプレイが2段を占めている。Jr.なら叶わなかったろうYOSHIKIさんや常田さんとのご縁、やはりCDデビューは素敵だった。

ソニーさんの偏差値高い、茶目っ気あるSNS展開も楽しかった。事務所がしかけた”vs"のため、遠征に出た福岡の帰りの空港バスで23時59分まで曲名を連ねた呟きをし、リツイートし続けたのなど、今や懐かしい苦笑物の記憶だが、お陰で彼らには生涯”デビュー盤ミリオン”の称号が冠されたのだから、よいではないか。3年も経てば当時のいやな感じも、わだかまりも、ま、いっか、当人達はなにも思っていない、単なるファン同士の代理戦争だったよと笑える話になっているのだ。

2枚目のNAVIGATORがデビュー曲と全く違うアプローチで軽々と2曲目の壁を超えてきたのも、そのMVが超クールだったことも、カップリング曲がさらによかったことも想定以上だった。その後も広がっていく音楽活動の幅に、最初は「ふ~ん?」と感じる曲も混じるようになったが、聴き続けたりライブパフォーマンスを見たりで印象を転じ、結局”折伏”されて愛聴曲になっている。円盤発売の度のSNS展開も恒例の楽しみになり、円盤発売日に今も訪れる渋谷のCD店の展示の列に並ぶ人々の数も、平積みの円盤を手に取る人達の表情も、今だコロナ禍にあるというのに、Imitation Rainの時のそれを凌ぐように思える。それが決して張りぼての、数だけの人気ではなく、聴く毎に彼らの歌唱技術が素人の自分にもわかるレベルで上達し、表現の幅が拡がり続けていることも嬉しい。THE FISRST TAKEに挑んだり、生バンドとのセッションを配信したり、音楽を発信する場の開拓も怠らない。新たな音楽分野の導入に貪欲なSixTONESとさすがの広い守備範囲のソニースタッフさんの相性のよさは変わらないし、古くからの事務所スタッフさん、YouTubeスタッフさん、レギュラー番組スタッフさん、様々な大人とうまくやっていけていることが窺えて幸せだ。恐らく事務所上層部の”お気に”でなくとも価値と実力は認めてもらっていると思っているし*13、そんな立ち位置であればこその自由度の高さもあろうというものだ。何より、発言を渉猟し得る限りでは、今でも彼らの総意が地に足着いたもので全く浮かれや奢りが窺えない事が嬉しい。

もう3周年、まだ3周年。世界一SixTONESのライブを愛していると勝手に自負する者から、これからも、よろしくね💐





 

*1:Earl Klugh、Yellowjackets、Lee Ritenour、Grover Washinton Jr.Bob James...

*2:残念ながら、所謂担当のような”好き”にはならなかったのだが、今でも敬意はもっている。同様のポジションは山田涼介君や今の中島健人

*3:とはいえ初めて入ったHERE WE GO!ではMCは凍りつきそうだったし、次に見たときは犬の姿だったけれど(笑)

*4:当時はまだJrだったKAT-TUNに完全に追い越されていたと思う

*5:私を健人に会わせようと友人2人が応募してくれて、2016年は3回も観覧に行かれたのだった

*6:当事者にとっては絶望するような出来事も含まれる来歴を物語性と称してありがたがってよいのか、人としていけないのではないか、とも思うのだが、それが彼らの人となりを作り上げてきた要素であるだろうからご容赦を

*7:タイミングなのか、株式会社としての戦略なのか、ジャニーさんの気まぐれなのか...

*8:立ち読みしていた+act誌を抱きしめちゃったよ。今度買います

*9:Jr.はこれ以上CDデビューはないと宣告されていた等と巷間伝えられていた中、久々のデビューだった

*10:だから私はSNSがある時代故、何かというと”ファンの要望”という名の浅知恵で自分の思い通りになっていないことにぴーぴーわめく輩に、プロの決断なめんなよ、どれだけの専門家がどれだけの費用をかけて行っていることだと思っているのか、と言いたくなる。言わないけど

*11:華々しい門出を飾って空中分解したグループあり、鳴かず飛ばずのグループあり、なのだ

*12:その後彼ら発信で"team SixTONES”という概念が表明されて、勝手な自認していて大丈夫だったのだと安堵したものだった(笑)

*13:サンチェさんの下にいるなんて立ち回りのうまさも感じてしまう(笑)。私はジュリーさんもサンチェさんも好きなのだ