書簡・編

おたくもすなる日記といふものを、我もしてみむとて、するなり。

055: 2022年8月28日_僕たちは戦争を知らない、PARTY PEOPLE、summer liSTening PARTY 2022、アトリエの前で第33回

一筆申し上げます。

 七十二候の天地始粛(てんちはじめてさむし)の名の通りしのぎやすい気温の日曜日。10日程更新の途絶えた北斗學園に、何か新しい挑戦をされているのか、あるいは体調不良...などと案じておりましたが、昨日のオールナイトニッポンで樹君の言葉に安心しました。お元気でいらっしゃるようで何よりです。

初日から職場で新型コロナウイルス感染者が複数発生し大わらわだった8月、この1か月を支えてくれたSixTONESの活動へのお礼と感想を、夏の便箋(晩夏の思い出、的な何かだと言い訳して..)を使える最後のかけこみ週末に認めております。

8月5日 PARTY PEOPLE 

今風と思いきや少し懐しめの旋律で、夏+ぱりぴ、からは遥か遠い夫も一度耳にしてすぐ口ずさんでいた親しみやすさ。さすがにTikTokに踊ってみた投稿する程鉄面皮ではないけれど、少クラ観覧では「振り完璧ですね」って隣のJKにお褒めにあずかりましたぜ(笑) 

粗めの画質のMVから伝わるのは、ぎらぎらするでもなく爽やかでもない夏。歌詞のわりには生々しい肉感もなく、汗も海の塩のべたつきも感じない。中東の乾いた熱風が吹き抜けていく印象。この””湿度の低さ”がSixTONESの特筆すべき個性だとは、後日Aぇグループさんの湿度高い「Special Order」を見てはっと気付いたように思った点で、私のSixTONESを最も好きなところの一つ。だから夏の盛りに聴き続けられるし、夏が過ぎても、次の夏も、飽きず聴き続けられると思うのです。

8月12日 summer liSTening PARTY 2022

台風にも感染症にも左右されず、紫外線も気にせず家で楽しめるパーティ、別件でLINEしていた友人達ももれなく皆参加していて盛り上がった楽しい時間をありがとうございました。アーカイブも家事や運転の駆動力に活用させて頂いています。

夏?と思った「ST」や「Hysteria」はセットリストに入ってしまえば確かに夏だったし、逆に私の中ではザ・夏という感じの「Call me」「FASHION」「Bell」等は冬曲だと言われれば納得してしまう気もして、SixTONESの楽曲のステレオタイプを排した汎用性、普遍性が、”夏”を打ち出したセットリストで逆に実感されるという面白さ。

前述の”湿度”という観点では、SixTONESの楽曲の中で「マスカラ」だけは超高湿度に感じたけれど、それは常田さんの作家性でしょうか。真夏、懊悩、濃ピンク、重苦しい空気...それがAfrobeatsで一変、サウダージを漂わせるようになったことにリミックスの奥深さとSixTONESの個性の強さを感じました。北斗さんが原曲でなくEmotional Afrobeats Remixを選んでくれて、私達、気があっちゃったかも、などと勝手に盛り上がってしまったのも夏の夜のせい(笑)

8月14日 僕たちは戦争を知らない

明確な意図をもって制作された番組であるからこそ、メッセージの押しつけや硬直性を感じさせなかったのが素敵だったと思います。悲惨な体験談への慨嘆や史実の一面的な否定でなく、過去を踏まえた上での”今”に焦点を当て、静かな意思表示をもって結論を視聴者に委ねるような番組の姿勢を好ましく受け取りました。その姿勢に寄与したのが、ご自分の役割を弁えて体験談を受け止め咀嚼し、紋切りでない自分の考えを柔らかく平易な自分の言葉で語っておられた4人の聞き手/伝え手であったと、たのもしく拝見した次第。

特に「その人ならでは」の視点が印象に残ったのは北斗さんと風磨君でした。風磨君が「傷つける側の辛さ」に言及した事に、出自的にも能力的にも性格的にも”強者”の彼の「デキる子」ならではの誰かを傷つけてきたかもしれないという懸念が背景にあったのかなという個人的興味ではありましたが*1

北斗さんにはまず「当事者にしかわかり得ない事がある」という聞き手としての謙虚な線引きがあって、それが語り手の言葉を夾雑物のない明瞭さで視聴者に届けさせたと思います。「口ごもってしまった」と反省していらしたですが、聞き手の態度としては私はそこに誠実さと真実味を感じました。

北斗さんの主観として最後に語られたのが池田さんのたくましさに対する感嘆であったことは、私には新鮮な驚きであり、同時に喜びでした。北斗さんが率直に人間の強さや人生に対する希望を口にされたことに意表をつかれたのは私がやはり「知った気になっているだけ」なのかもしれませんが(笑) それが戦死してもなおその願いが物語を貫き孫の代まで存在し続けた稔さんを”生きた”経験を通じて得たものであったのかしら、などと想像して勝手に嬉しくなってみたりして。後日「自分にしか出せない歌声を求めて練習し」との一節を読みましたが、今回の取材は確かに「今の北斗さんにしかできない、だからこそできる」ものであったと私は思いました。

ラジオ・チャリティミュージックソンでの見事なレポートを聴いた時にも思ったのですが、丁寧な取材準備と理解、聞き手としての真摯さ、語り手(取材対象)と視聴者との間をとりもつ洞察力とが窺えて、北斗さんのインタビューのお仕事をもっと見てみたいと思いました。人に対する想像力や興味と「人見知り」は相反するようでいて実は相関していると思うので、様々な人にインタビュアーとして関わるお仕事は北斗さんに向いていそうではありませんか?それが内在する要素を絞り出す仕事(のように思える)演技や、自分という媒体を通じて事象を伝えるキャスターなどとは違い、他の人の多様な”成分”を吸収できる事に繋がって、北斗さんに面白い影響をもたらしたりしないかな、などと思ったりしているのです。ふふふ…(単なる想像です。ですぎたものいいですみません…)

8月22日 アトリエの前で 第33回

意味や背景を深読みしようと数回読んで、結局余計な考えをいれずにそのまま文章を味わうことにしました。これまでより論旨がすっきりして洗練された文章なので、きっとそれがよい読み方なのだと思います。

「声を出すのが何故か億劫になる緊張感に自分の常識を再確認する」

「五感と対象物の間で気付かれずに満ちている空気」ならではの「優越」

「互いの罪と人間の欲の匂いを嗅ぎ合い、僕はここに居ていいんだと安心する」

「寒いからという理由で駅まで走って行き、結局は早く着いてしまった駅で寒さに凍え」

このあたり、誠に我が愛するザッツ松村北斗な言い回し。あなたは既に日向を歩いているよと言いたくなれど、「俳優としても認知してくれている人も現れてきている」という現在進行形を用いてしまう慎重さよ!文章の一言一句にそんないじらしく愛すべき松村が満ちていて、私はつい、最近知ったこんな言葉を、知ったかぶりして書いてみたくなるのです。

「役者になりたい人は役者になれない。芝居をしたい人が役者になれる」 *2

私の知る限りでは最も「したい事」を追求せんとしているのがSixTONESの作品づくりであり、北斗さんのお芝居。だからきっとこの論でいえば「なれる」人達であろうし、少なくとも私はそんな姿勢が好きで、だからきっと応援し続けて行くのだと思っています。

 

窓からの夜風は涼しくなり、お腹にブランケットをかけただけでは風邪をひいてしまいそうですが、日陰にも日向にも居心地のよさを見出せる秋も、もうすぐ。メンバーの皆さんも個人仕事の正念場ですね。北斗さんのお仕事も詳らかにされる日を心待ちにしております。カレーライスも福神漬の歯ごたえあってこそ何倍も美味しい。福神漬け、増し増しで頂戴(笑)
いつでも、どんな北斗さんも、応援しています。          
        

                                   かしこ 



*1:私も「足を踏まれる方は当然痛いけれど、踏んだ方も時に痛いと思っているし、前者は普遍的だが、後者の痛みは一部の人にしかわからない」と自戒含みで思うので。北斗さんはその両者を同じ鋭さをもって実感できる稀有な人なのではないかと思っているのです

*2:佐藤二朗さんが「画家になりたい人は画家になれない。絵を描きたい人が画家になれる」をもとにして、ご自分について振り返って書かれた文章にあった言葉です