書簡・編

おたくもすなる日記といふものを、我もしてみむとて、するなり。

052: 2022年5月24日_xxxHOLiC、恋なんて本気でやってどうするの?

拝啓 

 走り梅雨の降雨と暑さとに交互に見舞われる日本らしい天候のこの頃、相変わらずのお忙しさと拝察しますがお加減いかがでしょうか。

今回のお題は「xxxHOLiC」(以下「ホリック」)と「恋なんて本気でやってどうするの?」(以下「恋マジ」)です。両作品では今のところ私は「松村北斗の演技」ではなく「百目鬼さん」と「柊麿さん」を観ているようです。つまり、以前書いた「推しの演技を評する際の陥穽」=演技者松村北斗に余計な思いを致すこと、が前景にたつことなく気楽に楽しく拝見しています。それが鑑賞する私の心持ちの変化なのか、作品や役柄によるのか、観る者に余計な感情を抱かせないことも演技力というものなのか...

xxxHOLiC

日舞台挨拶と副音声上映と3回拝見しました。

唯一無二の個性の蜷川実花作品の数々は私にとっては直観的に強く惹かれる対象ではなく、かといって苦手でもなく。被写体と作り上げられた世界観とが符合していて素敵だと思うこともあれば、過剰さを少しうるさく思うこともありますが、そういう個性、作家性なのだとフラットに作風を”受けいれ”鑑賞するものでした。

先入観なく映画を観たかったので原作は未読ですが、原作ファンの方々の「原作を読んでいない人には話がわからないであろう」という懸念*1は少なくとも私に関してはあたらず、十分内容を把握できたと思っています。

北斗さんご出演の大事な作品なので背景を知りたいと思い、昨年11月に蜷川組(公式後援会)に入ってみました。蜷川監督や事務所の金谷社長の投稿やライブトークで、人の暗部を描く印象の強かった蜷川監督が思いがけず漂わせていた”善なるもの”や、純粋で無邪気とすら受けとれる作品作りへの思いを発していたことも興味深く、ホリック鑑賞前に彼女を見る目が少し変わりました。

十数巻に及ぶ原作を110分に収める芯としたのはその”善なる”部分で、大づかみに解釈すれば恐らく彼女の息子さん世代へのメッセージなのだと推測しています。しかしかなり直球の”人生訓”が主題でありながら一部からの深みがないという評価。それは例えば吉岡さんの“怪演*2や、百目鬼四月一日の関係性、アカグモの作りこんだビジュアルや、やや大仰な表現が、媚びやうけ狙いととられかねないからかもしれません。

しかし蜷川監督のお話からそんな人間関係や演者の美に対する監督ご自身の”萌え”的美意識を満たすことも創作活動上重用なことはうかがえますし、その蜷川女史の”趣味性”が作品世界を作り上げる重要要素なのでしょう。蜷川ワールドといえば花ですが、本作では溢れる花より水に強い印象をうけました。渋谷のシーン撮影開始時の偶然の降雨から着想したものだと伺いましたが、全編、雨、雨、水、水…の印象*3。幸せな4月1日や校庭*4の食事風景も晴天の下であったから、水と雨とが四月一日の心情とリンクしているのでしょうか。

私はこの作品をダークファンタジーの形を借りた四月一日の成長譚ととらえていたので、怯え駆けまわる姿、屋上に佇む姿から、まだ情報の乏しい冒で既に四月一日の内面が伝わってきてひきつけられたし、理解を助けられたと思います。神木君は恐らく出演作はほぼ観ていて信頼している俳優さんですが、陳腐になる危険性をはらむファンタジー漫画の実写化にリアリティを持たせた「神木君の説得力」に圧倒されながら拝見することになりました。物語世界の嘘を背負った、疾走シーンの背景にズザサササーって擬音が描きこまれているかのようなアニメ的コーナリング*5!眼にフィーチャーしている物語ではあれど、眼が印象的な顔ではない、むしろ地味とすらいえる眼が、厭世、戸惑い、疑念、諦念、終盤の自信、妖艶まで表現する雄弁さに魅入られました。

しかし、いかに神木名人とはいえファンタジー世界の虚構に現実味をもたせつつ四月一日の物語に集中せしめるのには他の登場人物は単純化される必要があったと思うのです。北斗さん、吉岡さん、磯村さん、配役時には旬も走りであったろうと思うお三方が上手に”単純化された”ことが物語を少しでもわかりやすくし、四月一日の成長譚を際出せることに貢献したと思うのです。

ということで、誠に人間くさく苦悩する四月一日という人間の”成長譚の一要素”としての百目鬼は、恐らく監督のオーダーに非常に忠実に、自我を表出させることなく「かっこいい」という冠を戴した”コスプレ”を遂行した結実のアイコン的存在と推測しています。四月一日を吹っ飛ばすターミネーターの如き登場シーンが衝撃でしたし、監督の注文とはいえ声低すぎるし姿勢良すぎるし、エンドロールの協力社にマンダムとありましたがきっと整髪料の多くは祐子さんと百目鬼が消費しているのではという髪型(笑)

敢えての記号的・二次元的な役柄だとは思うのですが、わずかに感情をのぞかせる、例えば四月一日のお弁当を口にした驚きの表情などが印象的でした。私の一番好きな百目鬼さんは、決戦を終え、ミセへ向かう”漢”な歩き方のシルエット*6ですが、アクションも見どころでしたよね。ワイヤーアクション(?お堂でふっ飛ばされるのはそうですよね?)も、雪駄で階段お堂を走るのも、袴で水の中を動くのも大変でしたでしょうし、弓道経験者からするとあのキレのよい離れをだせるようになるまで弓も相当練習されたのでしょうね*7。副音声の「数年かかる」は大げさですが、大学体育会弓道部の新入部員もGW合宿1週間の最後に的前に立たせると的まで届かなかったり山なりの矢飛びだったりがほとんどですし、弓返りできるまでの頬や前腕の痛さも知っているので自然な離れと真っ直ぐな矢飛びを習得されるまでの努力に拍手です。 
舞台挨拶は各世代の旬の美人俳優揃い踏みの華やかさ。ステージの立ち位置に立ってからの一礼や、まず中継先の人々を気遣う辺りが北斗さんらしいと好もしく拝見しておりました。蜷川監督の目には涙が浮かんでいたようでしたし、北斗さんのジャケットの胸ポケットの蝶の刺繍、磯村さんのネクタイや吉岡さんの2回目の衣装の蜘蛛の糸風の模様など皆さんの作品への思い入れが衣装にも現れているようでした。北斗さんが積極的に笑いを取りに行ったりそれを一人で回収していたりと伸び伸び振る舞えているように思えて*8、そこからも制作チームの雰囲気のよさが伝わってくるようでした。

そんな舞台挨拶の日に録られたというオーディオコメンタリーは当然楽しい。21日に副音声付上映に行きましたが「どうも、富士山です」から笑わされ、声を出さないよう苦労しました。「天気が番手読む」というザ松村北斗な言葉、”はだけて”10代を懐かしむ大人ジャニーズ発言、「百目鬼だけれどいっぱい食べて」という妙な指令、北斗さんがやはり「作り手目線」で映像や演技の技術的な部分に言及することが多かったこと、等々、いちいち頷きつつ(笑いこらえつつ)聴きいりました。

恋マジ

「この世は美しい物で溢れている」との純さんの言葉通り、窓から入る光の加減が人物や什器を美しく照らし、暖色の照明に映えて美味しそうな食物をさらに純さんがまことに美味しそうに召し上がる。純と柊麿の並び歩く姿は引きで撮ってもバランスがよくて美しい。2次会を終えSalutに入って行く動線に従う純目線映像の新鮮さ。そんな素敵な映像で、傍から見てあきれる位にどうしようもないヒトの姿が描かれている。飛び交うあけすけな台詞や純の言動の突飛さもあってご立腹な視聴者もおられるようですね。私も純には共感も思い入れもできないけれど、放送開始前の北斗さんによる人物評を遡って読めば「こうかな?と予想した逆をいく。柊磨からすれば自分の想像の中に収まらない不思議な相手だからこそ気になってしまう。“難アリ”な純」とあって、私が嫌な感じを抱かされてしまうのは広瀬さんの演技が迫真だからなのでした。

あからさまなモノローグでさらされる純の感情や思考と異なり内面は全く明らかでないながら、同じく私にはちょっといけ好かなかった柊麿の言動。「心ざわつかせちゃ、かわいそう」って...自分の容姿が美しいことを知っていて”活用”している人の鼻持ちならない自信。「泣いていいよ」ってよく知らない人に言われても涙もひいてしまう…(笑)「僕でよければお役に立ちますよ」と告げた表情の空虚さ、鼻をくしゃっとして笑うあざとさ。このあたりはひょっとして「職業アイドル」として人前に立つ際の北斗さんには部分的に内在する要素かもしれませんが、恐らく北斗さんご自身の中にない要素が多い(推測)。綿密な”嘘”を積み重ねて構築された「柊麿」がそこに生きていて、「松村北斗演じる」という冠がない状態で余計な思い入れのない「ただの登場人物長峰柊真」を楽しめています。

敢えて蜷川監督の”萌え”と嗜好を盛り込んだアイコン百目鬼と同じく”記号的イケメン”と思われた柊麿ですが、高石プロデューサーの仰る「○キュンとか○○男子とか、キーワードでもの作ってるわけではなく」の通り、たとえば柊麿のシャワーシーンにも「こういうの見せておけばファンは喜ぶだろう」的へつらいは感じさせられない(蜷川さんのはご自分の欲求の体現だと思うので私は観る者への媚びは感じないですが。このあたりのおもねりのない清潔感は北斗さんの個性かももしれないですね)

しかし、恐らく視聴者を悶絶させる意図はあったであろう第4話の濃いキスシーンに照れるでもなく美を見出すでもなく「柊麿ならそうだろうよ(でもひな子ちゃんにひどくない?)」と納得して淡々と視聴していた私は、美しく見えるようにすごく気を配っておられたであろう製作陣と演者に謝らねばならないでしょうか(笑) でも、そこまで「柊麿だった」北斗さんの「勝ち」です。はい。 

それまでいけ好かなかった柊麿の印象が変わったのは「これじゃ、足りないんだけど!」の台詞。純の姿を認めてにやっとしながら、恩着せがましさや哀れみでもなく、ただ純が戻れるような”口実”を提示するような温かさと茶目っ気が感じられて一気に血が通ったように思いました。そこからは陶器展で純を見つめる眼差しや、第2話で「(大津に)逃げられた」と告げられた時の表情、第3話で純に抱きつかれた後の抜群に繊細な表情、差し入れをほおばる純を見るどや顔と、徐々に人間味が加わってきて。その過程でほんの少し北斗さんが垣間見えてしまったように思った瞬間も実はあって。「栄養とんないと脳に糖分まわんないからいいアイデアうかばないんじゃない?」という台詞の小理屈や、ナプキンを畳みながらの「おーれ、車じゃないし、ふん」という節回しは、まさに松村節ではありませんでしたか?(笑) 折り返し地点に来たドラマの人間関係の顛末も、詳らかにされていく柊麿の背景も楽しみにしています*9

 

日舞台挨拶後の挨拶動画や7周年のYouTubeライブ配信で「感想が届くのを待っている」「手紙を郵便で送っても読んで下さっている」と伝えて下さった北斗さんの「おねだりに応えて」(あーすみません、そう書いてみたかったのです。僭越至極)ホリックと恋マジの感想を認めました。現時点での総括は「上手にきれいな嘘を楽しませてくれてありがとう」です。

 

嘘ならぬ現実のライブにも巻き込みに巻き込まれて半年。Feel da CITYツアーもとうとう仙台を残すのみとなりましたね。幾度でも書きますが、楽しい公演をありがとうございました。

ツアーが終われば「わたし」の発売。突然流れた挿入歌(またやりやがった…(笑))の美しさ、MVも謎めいていて、全容が明らかになる日を楽しみにしております。そんな忙しないSixTONES暦で生きている私にも月日の早いこととつくづく思いますが、メンバーの皆さんはさらにお忙しいことでしょう。

ドラマ撮影も佳境であろう慎太郎君の大丸君、本当に活き活きしていて素敵です!心楽しいドラマで水曜夜はすかっとした気分で眠れます

大我君には音楽製作担当兼主演の今年も高い壁を目指す夏の大冒険ですね。どんな夢を見させてくれるか楽しみです。

芝翫さん、蜷川舞台を継承されるスタッフの方々、松任谷さんの音楽、重厚な座組に加わる髙地君。夏の夜の夢はRegent's Parkの野外劇場で時々モップ休憩が入る雨の中、傘さしながらワインを飲むイギリス人達(変ですよね、私ものんでましたけれど)の中で観ましたが、そんな気楽な軽喜劇。髙地君が軽やかに飛躍をとげられることを祈っています。
テレビで拝見しない日がないのでは、と思う活躍のジェシー君。SINGもロングラン中ですね。本格的なのに小学生の甥っ子達も大好きです(本格的だから、か)。同じく出ずっぱりの樹君は、ひょっとしてDREAM BOYSも再演かしらと皆楽しみにしています。

皆さんが充実しているのが本当に嬉しいですが、どうかお身体にお気をつけて。お目にかかれる機会、心動かされる瞬間の数々を心待ちにしております。「ありえないところまで」連れていって下さい(笑)。いつでも、どんな北斗さんも応援しています。

                                  かしこ 

2022年5月24日

*1:そのようなレビューが未見の人に作品へのハードルを上げているようで残念です

*2:皆さん話題にされていましたが、私もエンドロールの「セクシー所作指導」に釘付け(笑)ポールダンサー指導に納得ですが、吉岡さんと磯村さんのふりきりっぷりに笑いそうになりつつも感心していました

*3:これ以上雨が降り続いてどんよりしているのはブレードランナーくらいではないかしら

*4:学校のシーンで照明の角度で人影が壁の上方から天井に映るのが学園の尋常ならざる雰囲気を醸し出していて興味深かったです

*5: 走り方まで数パターンあるとはさすが神木名人ですが、北斗さんもレッドアイズでは””女の子走り”でしたね

*6: こちらは普段のYouTube等で見る北斗さんの歩き方でもなくまさに百目鬼的歩み

*7:あの神事のように矢道の近くに人が立っていて弓を引くのは大学生時代6年間弓道漬けだった私でも怖いですが、あれは別撮りだったのでしょうか。私は小笠原ですが、日置流の斜面うちおこしは映像での見栄えがよいのですよね。ちょっと物見が甘くて弓手の肘が入っていないのはご愛敬(笑) 

*8:最近の地上波バラエティでもそうですから、そこをとりたてて指摘するのは失礼かもしれませんが

*9:結局、何か訳ありの役なのですね、北斗さん。幸せ一杯で無邪気な役も見てみたいわー