書簡・編

おたくもすなる日記といふものを、我もしてみむとて、するなり。

032: 2020年6月7日_NAVIGATOR、アトリエの前で、SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャル

前略

 早くも浴衣グラビアの季節になってしまいました。ここに至るまでの下書きで季語を5回書き換えました。深夜に放たれたNAVIGATORのティーザーがあまりに素敵だったので勢いで”前略”にしてすぐ出そうとしたものの、「北斗學園」や「アトリエの前で」を読み直し始めて少し延びました。「お正月はお忙しくて召し上がれないであろう伊達巻を殿下に」と1月4日に投函するつもりで持ち歩いていた切手*1。レターセットは「緊急事態宣言下にせめて便箋だけでも明るく」がテーマの春物。暦の上では夏の今日この頃には圧倒的な出遅れ感。でも北斗學園から伺い知るに、北斗さんはこの無駄な逡巡や、そういう人間のしょうもない部分は許容範囲らしい。季節はずれの文具で季語も無視して言い訳から始めることにいたしました。せめて梅雨前にお手元に届きますように(←早く書けって)

 

NAVIGATORティーザー、”魂消た”というより魂奪われ小一時間繰り返し見て、深夜の興奮をひきずった日曜翌朝一番に75インチ画面にミラーリングして堪能しました。

Imitation Rainの時はデビュー近辺の数週間が諸々忙しすぎた事もありますが、大事なデビュー曲に臆したか、あるいはYOSHIKIさんやSixTONESメンバー個人と重ね合わせの深い意味が隠されていそうで考えすぎたか、感想がまとまらず、今だに咀嚼を繰り返している牛の反芻胃状態なのです。一転、NAVIGATORはよい意味で敷居が低くてとっつきやすい。それは完全なフィクション世界でSixTONESが見せつける恰好よさをただ無心に楽しめるからでしょうか。

青い光の中、霧にけぶる街並みと光が近未来的な背景の街はどこなのだろう、なぜ追われている(追っている?)など、何やら謎めいた映像。それを深めるのが、樹君がにやっと笑う瞬間の意味深さや、世にも美しい体勢で跳ぶ姿(どこへ?)、ジェシー君がコルコバードのキリスト像みたいな体勢でゆっくり落ちていく(?)先は?、何に耳をそばだてているの?、髙地君の仰向いた顔の冷たい色気、一瞬何か嘲り笑うような酷薄な表情(これはジェシー君も一瞬しますよね。お道化ているのか冷笑なのか)、北斗さんの何かを捜すかのように走る姿はHarrison Fordの逃亡者のようで、表情が余裕綽々に挑んでいるようにも、嘆いているようにも見える。身をかがめた着地(?)姿勢は政治的背景をもつアサシンのようで、対する慎太郎君は低い姿勢のスタートダッシュが殺気を帯びた攻撃性で組織のヒットマンのよう。口角をあげて笑う表情で何人を”殺した”ことか大我君の祈るような手の表情の美しさは、ゴリゴリに男くさい暗殺者集団に紛れた麗しいダンサー、なのに一番冷酷で凄腕、みたいな、MVなのできちんとしたスト―リーがあるとは限らないのに勝手に物語を膨らませてしまいます。多分、私の非常に好きな”Way of the light is laying in the dark”~の部分の微かな不穏さを秘めた壮大な旋律が映画音楽のような厚みと拡がりを感じさせるからなのだと思います。この感じはひょっとして...と思って富豪刑事の主題歌の噂が出た際に番組サイトを観て心躍らせたのが音楽がやっぱり菅野祐悟さんだということでした(作詞・作曲の方は結局違ったのですが)毎週テレビの前でオンタイムで”正座して”見ていた「SP」以来(あのドラマの魅力の1/3は音楽だったと思うのです。あのOP曲でぐわ~っとドラマの世界に引き摺り込まれる吸引力!)、パーフェクトワールド、TAKE FIVE、MR.BRAIN、安堂ロイド、MOZU、アイムホーム、ラストレシピ、...観ていて劇中音楽が心にひっかかると大体菅野さんで、また菅野さんの関わる作品にはずれなし、なのです。う~早く放送再開して欲しい。


映画でいうと、Imitation Rainは冒頭の建造物の外壁の白と、ほの青い空の霞み具合がこの世ならぬ感じで、STAR WARS(エピソード4)の“遠い昔 はるかかなたの銀河系”の茫漠とした砂漠の風景を想起したのですが、NAVIGATORの映像から連想したのは Brade RunnerやThe Fifth Element。前者は街並みの雰囲気や「追いかける/追われる」話だから、後者は多分、青い光線が飛び交うイメージや宙に飛び出すシーンからでしょうか。他の作品と比較したら失礼だとは思いながらも、つい映画を思い浮かべてしまうのはSixTONESの作り上げる世界観の後ろに何か物語をみたくなってしまうこともあるだと思います。ティーザー広告でこれだけわくわくするのだから、3月に撮っていたのに黙っていなければならなかった皆さんの方が大変でしたでしょうね。心の準備は万端なのです。いつでも来い!

さて、ここまで北斗さんに「お元気ですか」の一言もなく書き進めてきましたが、お加減を伺うまでもなく連日更新してくださるブログのお陰で一方的に私達が北斗さんの毎日を知っているという素敵で不思議な状況が続いています。あれだけの内容と量の更新をされ、入魂のジングルを企画し録音し、ということは、緊急事態宣言下にほんっとうに家に一人でいらしたのでしょうね(笑)。ジングルには誇張されて表れますが、文章には”筆者その人”が見えますよね。私、「アイドルほっくん」も「アーティスト松村北斗」も好きですが、”電波の上だけでは社交的”でありたい”見た目と内面の相性が悪いことは自覚”している”ジングルの鬼”の他に類をみない感じが大好きです(という前提で以下を読んでいただきたい)。

「アトリエの前で」からは、親友という立場の人と再会して”違和感にヘラヘラしてしまった(第7回)”り、子供心に”入場の際は、少々方で風を切らせてもらった(第12回)”り、お弁当を一緒に食べようと声かけるだけで半日煩悶してお弁当箱を”人間関係の時限爆弾(第13回)”と形容したり,、自称される”微笑ましさと少しの切なさ”’(小津安二郎作品か...)に”不憫さ”を加えたい。

「北斗學園」では”下調べのきちんとした詐欺”、”書いた人の正解知らない方が気持ち悪くって居心地いい”、”無意識の世界で雨を晴れさせるって言うドラマチックを求めて一時的に降らせてるってこともあり得る”、などなど、繰り返し表現される拗れ気味の性向は深い実感から絞りだして書いているように違いない。人間関係の”苦手感”や”自意識過剰な成育過程”は“地”で”素”なのでしょうなと推測してしまう。創作しているのだったら、洞察力に脱帽です。しかもアイドルに適した「”設定したキャラクター”を全うできる器用さがある上に意志的で凝り性」なのに、自分を客観視できてしまうがために”キャラ設定”に葛藤を感じてしまうのだろうなあ、と勝手に解釈して、自分との共通点にちょっと笑うのです*2。私は”心理学に詳しい人”ではないですが、でも北斗さんの”拗らせ”にどっぷり浸っていない客観性で自分にツッコミいれて笑えることは素敵だと思っています。
とはいえ、文章の解釈には筆者の意図との乖離があることは現代国語の問題を作者が解いても正解できないという話からも常と思われ。そう思って今回もう一度読み返してみようと思ったら北斗學園は内容が濃くて5月5日まで読んで時間切れになりました(笑) 。それでも、逐一”team SixTONES”、”ひえおじ”などの言葉の定義や、オールナイトニッポンSixTONESの関係について説明してくださる読み手に対する想像力と親切さと几帳面さの素晴らしさ。ジングルを載せてくださったのもありがたかったし、5月2日の「一人ツッコミ一人ボケ+謝罪」のパロディ作風も大好きです。日常生活の”ほっくんの疑問・質問・宿題”*3もせっかく投げかけてくださるので、なるべく返事を呟いてみてはいますが、届いているかなあ。ちょっと届いていそうな匂いがすることもあるのだけれど、届いていても恥ずかしいなあ*4(←北斗さんもそんな感じのこと書いていらしたですよね、そういえば)。
皆さんのブログ、時々結構な時間にあがりますが、ひょっとしてスタッフさんの校閲やチェック経ないで直接掲載なのでしょうか。校閲ありならスタッフさんのご苦労いかばかりか。ありがたいことです。
「アトリエの前で」の独特の言い回しは、ほぼ編集者の手が入っていない文章なのだろうなと思っていて*5、長文の上に、締め切りまでに字数合わせをきちんとされているのは本当に大変でしょう。北斗さんは書くことがお好き、というより「表現せずにいられない種族」なのに「あやふやが苦手な亜種」なのだろうかと想像しています。よくあるファンレターマナー的な「ファンレターは読みやすいように2枚にまとめましょう」をガン無視して長文を送りつけている身としては*6、北斗さんも迷いながら長文になってしまうタイプだと「北斗學園」を通じて再認識できて、免罪符を得たようでちょっと救われます(笑)。

 

そんな私も新型コロナウイルスの登場以来、日々脳内で手紙文を考えてはいても、人に伝えるための文章を認めるという非常にエネルギーを使う作業に集中できずにおりました。それは「人類史上稀にみる歴史的事態の中で起きていることを遍く知っていたい」という耳目欲の虜になっているため、必然的にテレビやネット上の論争や理解しがたい強弁も見聞することになり、それがなかなかに精神的負荷がかかるものだったため。ネガティブな言葉や環境が脳や身体を消耗させた結果だと思うのですが、どうにも疲れやすかったり原因不明の全身掻痒感が続いたりして、通常はとにかく寝ちまえ、で何とかなるのですが、こうも世界に不安と不機嫌が溢れていると自分を健全に保つには別世界に心を逃がすことも非常に有効で、私を守ってくれたのはSixTONESの活動でした。例えばNAVIGATORのティーザーを見ることで原因不明の全身掻痒感が未明の前進高揚感で解消したり、”NON STOP!”や”We'll be Toghether"を聴くことで「あの日の日生劇場」の幸せな雰囲気を脳内で再生したり。特にSixTONESのおしゃべりにネガティブさや他者への攻撃性がないことは、本当にありがたいことでした。時世に即した励ましや労りの言葉も嬉しいものですが、よい意味で時事性を排していて、全く負の要素がない”たわいない会話”(と思わされているだけで、実際はよく練られた台本と準備あってのことでしょうけれど)にどれだけ救われることか。深夜の樹君 vs メンバー、ANNリスナーさん達、ひえおじさん達の攻防はひたすら楽しくて時間を忘れます(ごめんなさい、ANNの間だけは樹隊長についていきます。ジングルバトルは北斗さんを応援しますね~)。生粋のANNリスナーさんの「おらおら、クール、セクシー、スタイリッシュ、アイドル」というパブリックイメージ(?)からSixTONES像を少し見誤った投稿に、樹隊長が「本当は石橋は深夜に叩いて...」といちいち訂正しているのをSixTONES側にたってほくそ笑みながら聴くのも楽しくて、自分は勿体なくて投稿する側にまわれないのですよね(笑)。ANNで「しゃべりのうまい、弄り甲斐のある楽しい兄ちゃん達」だと思って興味をもったANNリスナーの特に男子達に、次はパフォーマンスを知って刮目していただきたい!


まだまだ気を抜けない日々に、そんな支えがあることをありがたく思っております。支えと言えば、これもお礼を申し上げねば。御社のSmile Up! Projectから弊院にありがたいことに医療物資をいただきました。ライブも舞台もない今は、いつか遊びに行かれる日のために休まずぎっちり仕事をしております。防護服とマスクを身に着ける時は北斗さんに守ってもらっているの♡と思っております(笑)。


Googleドキュメントに折々書きためてきたものを、NAVIGATORティーザーブースターで見切って前略で便箋に書き始めたのが5月31日。昼休みがとれたら、家で時間をみつけて、と、ちまちま書いて「男子達、パフォーマンスに刮目せよ!」の段を書き終えて目が覚めたら6日朝。構想3か月、製作1週間ともたもたしている間に発売日のお知らせをいただき前段の「発売日未定」の体が崩れてしまいましたが、発売日が決まって嬉しいです。NAVIGATORは平時と異なるプロモーションになると思いますが、そんな状況でSixTONESSONYさんがどう来るか、却って楽しみです。待ちに待った活動再開ですが、気を遣いながらの時節柄、どうかお身体おいといくださいませ。いつでも、どんな北斗さんも一番に贔屓して応援しています。                     

                                  かしこ

2020年6月7日

*1:

*2:私は親戚の危篤の報に「泣かなかったら冷たい人間だと思われるかもしれないけれど、自分が悲しく感じたとしてそれはその状況は悲しいはずだという知識故で、本当には悲しくないのではないか」と心配したり、読書感想文を書こうとして「評価する教員に媚びて思ってもいない”正しい感想らしきこと”を書いているのではないか」と手が止まってしまったりした、自意識過剰すぎて自身の感情の正統性に懐疑的な小学生だったのですが、小児期に使い果たしたのか自意識...
感情の出所が純粋な人間性の発露なのか社会的に獲得したものなのかなどわかりませんが、今や感情や思考なんて全て脳内物質の出方次第(ひょっとしたら腸内細菌に操られている可能性もある)と割り切る鈍感さを獲得しました。通園バスが無事着くまで不安だった幼き北斗ちゃんが「夢は見なさい。ただ、かなえる必要はない。ただ、かなえるための日々を過ごすべきだ」に至るまでに経てきた時間の重さを成長とだけでは言い尽くせないでしょうけれど

*3:”肘の下”のよい呼び方は思いつかなかったですが、そこにはヒトをヒトたらしめた秘密があるのです。前腕の回旋(手のひらを返す動作)が完全にできるのは類人猿とヒトだけで、飛躍的な移動の自由と、顔を洗ったりお尻を拭いたりお釣りをもらったりといった重要な機能とを獲得できたのは前腕の回旋機能のおかげなのです

*4:何通も手紙を送りつけておいて”#北斗學園”に恥ずかしいもあるもんか、って思われるかもしれませんが、送料を支払って日本郵便に託す前者と、瓶にいれた呟きをネットの海に流すがごとき行為とはメルヘン度と気恥ずかしさには雲泥の差が

*5:「ざらっとした違和感が残る」ことを目指しているとはいえ、プロが”読まれやすさ”を目的として手を入れたら削られそうな表現が散見されて、北斗さんは書き手として期待されているのだろうなと

*6:北斗さんは長くても読んで下さると思うからこそ、行間まで読み取ってくださると思えばこそ、の長文ではあっても、当初は長文を毎回謝っていましたが、いつしか開き直りましたね、私